昨日(以下)に引き続きキーエンスの考察です。
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このシリーズでは、漏れ伝わった「話」だけでキーエンスの在り様を推測し、それを通して複数回に渡り「会社のありたい姿」を考えてみたいと思ってます。
本日扱いたい話はこれです。
「自由闊達な論議を醸し出す合理主義的社風」
同社事業モデルの根幹には合理主義がある。それは単なる効率化追求を目的としたものではなく、「社員の知恵や活力を引き出すのが目的」(同社関係者)といわれる。それが社風や日常業務にも表れている。
【参照記事】
https://biz-journal.jp/2015/05/post_10144_2.html
企業における合理主義とは何か?
合理主義とは、慣習・伝統・常識に囚われず、目的達成のために最短・最効率な手段を選択していこうとする態度を指します。
会社という組織は、多くの背景や思想を持つ様々な人間が集まる場所です。
物事には多くの捉え方があり、一つの問題を解決するにしてもその方法は人それぞれです。その一つ一つの解決方法には個人の思想や背景が内在し、本来誰の解決方法が正しいという事は、一概に言えるものではありません。これは個人の考え方の問題です。
ただ一方で企業という組織は経営理念という一つの理想を追求する団体です。
何か現状を変えるべき事案が発生したならば、個人が出した解決方法の中で、理想の方角に最も堅実に近づけるものが、「合理的な選択」となります。
例えばキーエンスの理念は「最小の資本と人で最大の付加価値をあげる」というものです。
仮にキーエンスが景気の変動によって売上が伸び悩んだとしましょう。
「売上を伸ばす」という課題に対して解決策はいくつか考えられます。
①売上高の高いスーパーマーケットを見習って生鮮食品販売に進出する
②販売人員を2倍にして売上を1.5倍にする
③付加価値ある製品を考える事で、製品単価を引き上げる
いずれの案も、実際に売上を伸ばす事に成功する可能性として否定できません。
しかし「最小の資本と人で最大の付加価値をあげる」という目標地点がある以上、目標から遠ざかる①、②の方法を選択する事は合理的ではありません。
キーエンスであれば、③を採用するのが合理的な判断と言えるでしょう。
このように、企業における合理主義とは、何らかの課題に対して、常に現在地と理想を一直線に結んだ線上にある効率的な選択肢を選択する事なのです。
合理的社風が無い場合に生まれるデメリット3つ
では現実問題として、合理的社風が無いとどんな点が困るのでしょうか。
私は以下の3点だと考えます。
①社員から合理的な判断能力が失われる
合理的判断が通らない環境に身を置き続けると、人間は考える能力を減退させます。
自分の中で合理的判断をした後で、特段の説明もなく上長からの非合理的判断を押し付けられると、自分の中でストレスがかかります。それを繰り返すと人間は防衛本能から考えることを放棄するようになるのです。
②意思決定が鈍くなる
社内の考え方に明確な軸が無い状態なので、いちいち上司にお伺いを立てなければなりません。合理性を求めるのではなく最早パワーゲームなので、誰もが責任逃れをするようになり、決裁書のような書類ばかりを回議し続ける、動きの鈍い組織が生まれるのです。パス回しばかりで誰もシュートしないサッカーチームのようなイメージです。
③100人いても1人分のアイディアしか生まれない
一部の人間の意見だけで意思決定するのであれば、議論の意味が無くなります。議論がなくなればアイディアを出す場所もなくなります。大企業が大きな判断誤りを起こすのは、意思決定が常に一部の人のパワーゲームの応酬によって決まるためです。
合理的社風を生み出すのに必要な事3点
ではこの合理的社風を生むためには何が必要なのでしょうか。
私が考えるに必要な項目としては、以下の3点です。
①企業理念の見直しと浸透度の向上
前述の通り、企業の合理性とは企業理念に即して判断できるかどうかです。そもそも企業理念の目指しているものが曖昧であったり、ピンポイント過ぎる場合、またはあまりに冗長で覚えきれなかったりする場合、社員が個別の問題に対して合理性の判断ができません。
よって先ずは企業理念が会社の目指す先を、端的かつ分かりやすく示しているのかを確認し、次に、社員が迷った時に判断できるように浸透させる必要があるのです。
②ハラスメントの撲滅
現在では、様々な所でハラスメントの問題が叩かれるようになっていますが、ハラスメントとは要するに「企業的合理性を欠いた強要」や、「業務とは無関係な人間的指摘」のような非合理的な要素から生まれます。目に見えるハラスメントを一つ一つ丹念に潰していく事が、結果的に企業の合理主義的社風を生む事に繋がります。
③360度評価の導入
どれだけ広く意見を募集して、合理的結論を導き出したとしても、最終的に結論を出す人間が自身の意見に固執する人間であれば、議論自体の意味がなくなります。議論自体の意味が無くなれば、上の意見を伺うだけの非合理主義が蔓延します。よって、結論を出す立場の人間は、必ず会議の意見を受け、合理的結論を出せる人間である必要があります。
しかし、上の人間が見ている範囲でそれを判断するには限界があります。
下の人間にも、上長が合理的判断ができる人間かどうかを判断する360度評価制度を設ける事で、たとえ上長が愚かな判断をする人間だとしても、長い目で見ればその上長は取り除かれ、組織としての自浄作用を有する事になるのです。
結論
合理主義的社風が無い企業は魂の無い死体と変わらない。規模が大きくなればなるほど、企業と社員はゆっくりと腐食されていき、いずれ大きな変化が起きた時に淘汰される。
それを防ぐ第一歩は「何を基準に合理的であるかを明確にする」ことを最優先で定義すべきだと思います。
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